大施餓鬼会を了(お)えて

 今年の夏は誠に厳しい暑さですね。
 「灼熱(しゃくねつ)」という言葉が当てはまるような、エアコンがなければ生きて行けないと言っても過言ではない暑さです。
 そんな中、8月16日午前10時30分より4年ぶりに檀信徒を招いて本堂に参列して頂く中で、やっと本来の姿に戻ったお施餓鬼会を厳修することができました。
 コロナ禍の前とは少し参列者が少なかったですが、それでもこの暑さと、そして台風、第9波のコロナという状況を考えれば、皆さんよくお参りして頂けたという思いです。
 このお施餓鬼の法会は本来、餓鬼供養のために修するものであり、施餓鬼壇は東向きに置かれ、壇の高さは3尺許(ばか)り、灯明は付けず念珠は摺(す)らず、打鳴(うちなら)しも鳴らさず、ひっそりと行うものであります。
 お堂の軒下や池のそばの少し湿った所を選び行うのが本来であるとされ、昔、総本山智積院の法務部長を勤められた佐藤師は、食事の時、少しのご飯を取っておき、毎日、餓鬼に供養をされていたという話を聞いたことがあります。
 今、行なわれている施餓鬼の法会は餓鬼に供養をし全ての餓鬼が成仏するように祈り、その功徳を亡者のために差し向ける二段階方式の供養の仕方であると思います。
 お寺によっては、施餓鬼壇に新仏の位牌を祀っているところがありますが、本来の考え方からすれば、施餓鬼壇には「三界万霊」の位牌1つを祀り、新仏や物故者の位牌は別に位牌壇にお祀りするのが適当かと思います。新仏や物故者は餓鬼ではないのですから。
 こんなことも今から30年位前に総本山で研修したことがありますが、未だにごちゃごちゃになっている。施餓鬼回向文も未だに盂蘭盆供の文章となっている寺も多いです。
 今までの慣習であると云えばそれまでですが、直す所は直したほうが正しい供養となるのではないかと存じます。

合掌
2023年08月25日