上野界隈参拝記

 朝晩、めっきりと寒くなってきた10月も終る30日、久方ぶりに聖天参拝メンバーと共に上野界隈に所在する寺を3ケ所巡って参りました。
 先ずは天台宗湯島聖天心城院
 心城院は元々、湯島天神の別当寺喜見院住職が元禄七年、天神境内に聖天さまを奉安するため開基されたのが始めとされ、ご本尊は比叡山から勧請した慈覚大師の作と伝えられています。
 境内は決して広いとは云えない程ですが、本堂に入ると江戸時代より続く法灯の重みを感じます。真中に本尊歓喜天、右側に弁財天、左側に大黒天が祀られております。
 我等三名は住職夫人の案内により本堂内に入り般若心経と本尊真言を至心に読誦してまいりました。

 次に参拝したのは東叡山寛永寺三十六坊の一つで釈迦堂とも云われる護国院大黒天です。
 ご承知のとおり寛永寺は徳川家康公が江戸を開かれた時、天海大僧正と図り江戸城の鬼門除けとして創建されました。
 この時、最初に建てられたのがこの護国院であり、後に三代将軍家光公は国の護り、人々の福運を長く祈るために秘蔵されていた大黒天の画像をお祀りし鎮護国家と開運隆昌を祈る護国院大黒天として永く信仰されてきました。
 寛永寺の塔頭ですので境内は余り広くはありませんが、堂々とした﨔作りの見事な本堂が昔の威容を感じさせます。
 こちらでも本堂内に入り般若心経一巻と大黒天真言をお唱えして参りました。

 最後にお参りしたのは、こちらも寛永寺塔頭の一つであります不忍池弁天堂です。
 この弁天堂は寛永寺の開山、天海僧正により建立され、天海僧正は「見立て」という考えによって上野の山を設計したといいます。これは寛永寺を新しく創るにあたり、様々なお堂を京都周辺の神社仏閣に見立てたことを意味します。
 こうした考えによって天然の池であった不忍池を琵琶湖に見立て、聖天が祀られた小さな島を竹生島の宝厳寺に見立て、このお堂を建立したとのことです。
 こちらの弁天堂には5年位前にもお参りしたのですが、今回はお堂の中に入り、心経、弁財天真言を皆で唱和して参りました。児玉希望画伯による天井絵の龍が睨みを効かせています。

 私は本年3月より大黒天法を月に一度ですが修法をしており聖天さまは元より大黒天、弁財天の有難味を新めて感じております。
 古来より中心に大黒天、右に毘沙門天、左に弁財天の三尊を一緒に祀る例が多いのですが、天部の神々をお祀りすると何故か心が安らかになります。天部は人間に近いこともあり親近感を覚えるのは私だけでしょうか。
 これから聖天さま、大黒さまの他にできれば弁財天もお祀りできたらいいなと思いますが、体は一つ、私のこの年令でこれ以上、修法の数を増やすことは無理かなとも思っています。
 仏さまはお祀りしたらできれば修法をしてご供養しなければといつも思います。
 又、真言宗の修行の核心は修法にあると。三業を三密に浄化するには修法することが基本であると思います。
 "飾りじゃないのよ仏はハッハッ"ですね(笑)

合掌
2025年11月08日